「仕事としての料理」に興味が湧き、母と同じ料理の道へ。
私が料理の世界へ進もうと決めたのは社会人になって10年程経った頃でした。
大学では経済学部を選んだので、銀行に就職したのは自然な流れでしたが、バブル全盛期の「お金第一主義」の仕事に疑問を感じ始めていました。
そんなとき、料理研究家の母がとても楽しそうに仕事をしている姿を見て、お金より生きがいのある「仕事としての料理」の世界に興味が沸いてきたのです。
それまでにも、母の仕事を手伝ったりしたこともあり、「食」は私にとって身近な存在。「料理を仕事にする」という道にもそれほどの違和感はありませんでした。そんなわけで、母と同じ料理の道へ進むことを決めたのでした。
でも、その時に思ったのは、母と同じではイヤだ、ということ。母のことは尊敬しているけれど、「私にしかできないこと、私だけのジャンルを持つ」、これができなきゃ、と思ったんです。
例えば、食べ歩きが趣味だった母は美味しいレストランの味を取り入れて、「簡単、スピーディーに店の味を再現する」のが上手でした。とはいえ、今さら高級レストランに通い始めたって、それが私らしいか、それができるように修行をしたほういいかと言ったら、そうじゃないな、と。
「料理を仕事にする」と言っても、その内容は人それぞれ。だから、私は「私にしかできないこと、私だけのジャンルを持つ」料理家になろう、と決意したんです。その時思い出したのが「人生は楽しく! 料理も楽しく作ること。美味しい料理は義務感では作れない」という母ミチルのモットー。
じゃあ、世界で一番人生を楽しんでいる人に料理を教わろう、それって…イタリア人? それならイタリア料理が一番おいしいかも! そんなわけで、イタリアの家庭料理を学ぶべく、一路、イタリアへ。
「私にしかできない」料理を見つけよう、とイタリアで修行
イタリアへの料理修行は、「私だけのジャンルを持つ」ためのもの。そこで私はイタリアの家庭料理を、それも“無名のマンマ(お母さん)”から教わることにしました。
なぜかといえば、そんなことをしている人はほかにいなかったから! というのは冗談ですけどね(笑)。当時は日本でイタリアンといえば、おしゃれで高級なレストランが大人気、有名なレストランやシェフのレシピばかりがもてはやされていたのです。
修行を積んだシェフが作る洗練された料理が美味しいのは、もちろんわかりますが、イタリアにだって、それぞれの家庭で脈々と受け継がれてきたもっと素朴で美味しい料理があるはず。
日本料理でいえば懐石料理じゃなくて、肉じゃがみたいな「おふくろの味」を習いたかったんです。それには本場のマンマ=お母さんに教わらなきゃ、と正真正銘のイタリア家庭料理をもとめてイタリアに渡りました。
ダイニングの食器棚には和食器、キッチンには洋食器がズラリとそろう塩田さんのお宅。洋食器の棚はご覧のとおり、天井までぎっしり!
留学中は、とにかく料理を覚えたい一心で、積極的に行動しました。最初は語学学校のあるシエナという町に住んでいたんですが、どうやらボローニャに家庭料理を学べる料理学校もあると聞いて、早速引越し。
その後も、友人から料理上手なマンマがいると聞けば紹介してもらい、その人がまた別の人を紹介してくれて、の繰り返し。気付けばどんどん友達の輪が広がっていきました。料理自慢のイタリアのマンマは心も広い! 初対面にもかかわらず、料理を教えてくれたり家に泊めてくれたり。本当に親切にしてもらいました。
海外での料理修行といえば有名レストランの厨房で、が当たり前だった中で、そんな一風変わった料理修行をしていたとき、私の生涯の料理の師匠になるアンジェラに出会えたのです。イタリア中部より少し北、ロマーニャ地方の小さな町、ファエンツァのマンマであるアンジェラは、近所でも有名な料理上手でした。
アンジェラから学んだ「美味しい料理の先にあるもの」
アンジェラは料理上手なのはもちろん、とても働き者で「主婦は疲れたからって座ってのんびりしてはだめよ。もし座りたいなら、その間は手仕事の時間」というほどで、編み物も刺繍も大得意。家の中はいっつもピカピカに磨き上げられていました。
彼女からは料理だけでなく、昔の田舎の生活、生活の知恵など、本当にたくさんのことを教わりました。料理は生活の一部。もちろん料理の腕を上げることも大事だけれど、それと同じくらい「暮らし」を心地よいものにする努力も大事だ、ということをこのとき学びとったように思っています。
イタリアから帰国後は料理研究家として活動を始め、雑誌やテレビ、スクールの講師など、さまざまな仕事をしました。料理の本を何冊も出し、自分の料理教室を始めたり、夫の仕事の関係でパリと東京を行ったり来たりしたり、なんてしていたら、あっという間に20年が経ってしまった、という感じです。
でもね、最近、「私は料理家ではない」と思っています。私が伝えたいのは、「料理を通して暮らしを豊かにしましょうよ」ということであって、「私は料理上手、私の料理をお見せします、レシピを教えます」だけではないのでね。
ですから「料理家」と言われると、ちょっと違和感を覚えてしまう。どうやったら皆さんが料理を楽しめるか、「食べておいしい料理とは?」「伝わりやすいレシピとは?」を研究してる、という意味では最近あまり使われない「料理研究家」の方がまだ、当てはまるかもしれません。私はアンジェラの弟子なのだから、お伝えしたいことは、ただひとつ。
「〈料理を作る〉ことは、料理の先にある〈豊かな暮らし方〉を探すこと」
猫好きの塩田さん。猫グッズも数えきれないほどあります。
アンジェラとの交流は、2年間の留学を終えて帰国してからも続きました。もっともっと彼女の料理を覚えたくて、その後も10年近くは、年に2回は彼女の家を訪れていたんです。もちろん彼女も楽しみに待っていてくれました。
最初は4週間ずつの滞在でしたが、しだいに料理研究家として活動が軌道に乗り、結婚もしたし、忙しくなってスケジュールをやりくりしてアンジェラに会いに行くのも大変になっていきました。
最初の頃は、私が帰ってくる日は、いつも私の大好物をたくさんテーブルに並べてくれていたアンジェラも仕事の疲れと長旅のせいでくたくたな私の様子を見て、シンプルな料理を作って待っていてくれるようになりました。
そのときアンジェラが用意してくれたのは、シンプルなスープパスタだけ。シンプルといっても、スープはたっぷりのお肉と野菜を何時間も煮込んだもの。そこに細く切った手打ちパスタをさっと入れた、まるでラーメンのような料理でした。
私はこれを「イタリアンラーメン」と呼んでいました。アンジェラは和食を食べたこともないし、ラーメンなんて知っていたわけもないですけどね。これを食べると「ああ、わたしのマンマのところに帰って来たな」とほっとしたものです。
残念なことに、一昨年、そのアンジェラも90歳で亡くなり、「イタリアンラーメン」は、もう二度と味わうことはできなくなってしまいました。これが私にとっての忘れられない味、そして、最高のイタリアンですね。
これまで、料理に関わるたくさんの仕事をさせていただきました。最初の頃は母が一緒で、早く一人前になりたいと思っていたものですが、ひとりの仕事ができるようになって欲もできました。
そのころ、目標というか夢だったことがふたつ。ひとつは、全国でも読まれている料理雑誌の表紙を、自分の料理で飾ること。もうひとつは、料理番組、雑誌の中でも一番反響がある「おせち料理」を担当すること。何年かかかってこの両方の夢が叶ったときは、本当にうれしかったですね。私流のおせちとしてその時に紹介した「赤ワイン風味の鴨ロース」という料理は、たくさんの方に作っていただけたようで、今でもイベントなどでお目にかかった方から「あの料理、ずっと作ってますよ」と言われるのは本当にうれしいですね。
料理教室は超実践型。家庭で手間をかけて作る大切さを学んでほしい。
料理教室があってもなくても、毎日の夕食はきちんと作ります。この日は、牛肉1キロを使うビーフシチュー。お昼ごろから仕込みを始める本格的なもの!
私は今、パリと日本の両方で生活しているので、それぞれで料理教室を行っています。どちらの教室でも共通しているのは、参加者の方に実際に作ってもらう「体験型」教室だということ。
東京の教室では、アンジェラをはじめ全国のマンマ直伝の手打ちパスタを中心としたイタリア各地のメニューを教えています。私が母から受け継いだ「昭和のキッチン」で、粉をこねるところからパスタづくりに挑戦していただいています。
いままで気軽に食べていたパスタって「自分で作ると、けっこう重労働。でも面白い、美味しい!」を楽しんで欲しい。
パリの教室では、皆さんのお宅にわたしが出向く「出張料理教室」。ですが、料理を作るのはもちろん、食材の準備も生徒さんが行う、ちょっと「スパルタ」なコース。参加者の多くはご主人の赴任でパリ暮らしを始めた主婦の方なんですが、フランス語はそんなに話せない、日本語の通じる店か、無言のままで済むスーパーマーケットでしか食材を買ったことがない、そんな話もよく聞きます。そこで、教室の食材を買って頂くことで、料理だけでなく「パリおつかい術」も覚えて頂こうというわけ。
メールでフランス語併記の材料、お店情報、買い方を送り、実践していただきます。発音がうまく通じなければ、最悪、そのメールに書いてあるフランス語を見せれば、とりあえず材料を買える! 外国で勇気を出して買い物をすることから学んでいただく、“やってなんぼ”の超実践型料理教室とでも言ったらよいでしょうか。
パリ教室では、メニューも参加者の皆さんのご希望をうかがって決めています。パリならではのフレンチおかず、イタリアン各地の料理、その他にも普段の日本の定番おかずでも何でもありです。今まで自己流や市販品ですましていた料理もお教えします。
「日本では揚げ物は買うもの」だった方から、エビフライのリクエストをいただたこともありましたっけ。その方はレッスンのあとでご家族に作ってあげたら、「エビフライってこんなにおいしいんだ」と、ご主人、お子様にも大好評だったとおっしゃってました。家庭で手間をかけて作るとおいしい。そのことに気付いてもらえたことは嬉しかったですね。
料理を軸として、その先にある、家族との暮らしを大事にするということ、料理で生まれる家族の笑顔が、私が一番伝えたいことなんです。
80歳までは現役で「家庭料理の素晴らしさ」を伝えます!
今、日本では「和食」がブームになっていますよね。シニア世代の方には、健康のためにさっぱりした料理をお勧めすることもあるようです。確かに、食事が見直されるのはいいことだと思うのですが、もし「和食だけが一番」という考え方に固執している人がいるとしたら、それは少し残念な気がします。外国の料理も和食も「愛情を込めたウチの味」は美味しいことを知っていただきたいです。
フレンチ=フォアグラ、じゃありません。野菜や豆をたっぷりと使った家庭料理がたくさんありますし、イタリアンもピザやパスタばっかりじゃないですもん。トマト風味でやたらとニンニクとオリーブオイルを大量に使った「エセ」なイタリアンとは全然違う家庭のイタリアンもあることを知って頂きたいです。
私はたくさんのマンマたちに、本当に代々作り続けている「ほんもの」のイタリアの家庭料理を教わりました。そこにはたくさんの愛情が入っていました。
きちんと手間暇かけて作られた家庭料理は、和食だけでなく、イタリアンも、フレンチも、きちんとおいしい。私が母やアンジェラに教わったように、今度は私が家庭料理の素晴らしさを伝える番。そのためにも、まだまだこれから、80歳までは現役で頑張る、というのが今の私の目標です!
お気に入りのキッチングッズを教えてください!
左側は、手打ちパスタを作る時に使います。機織り機のような形のものは、「ガルガネッリ」というショートパスタを作る時に使うもの。この上で細い棒にクルッと巻き付けて、模様と形を作ります。赤い持ち手のニョッキボードは、ポテトニョキを作る時用。これは棒ではなく指を使います。私の料理教室では、これらの道具を使って本格的に手打ちパスタを作るんです。生地をこねるところから始めるので時間がかかることもありますけど、そこは生徒さんの腕次第(笑)。右側は、私が愛用しているステンレス用の砥石。長時間水につけないといけないものもありますが、これはさっと濡らしてその場で研げるので便利! 料理をするなら、ぜひ1台は持っていてほしいですね。
写真:巣山サトル 文:安田美保
塩田ノア's profile
1955年、東京生まれ。慶応大学経済学部卒業後、銀行に10年間勤務して退行。1993年にイタリアへ渡り、語学と料理を学び、2年半後に帰国。1995年に料理家として仕事を始める。本格的なイタリア家庭料理と、シンプルでおしゃれな普段のおかずが人気。2004年からパリに暮らす。
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