幼稚園児のときには、もう料理番組や料理本が好きでした
私が料理に興味を持つようになったのは幼稚園のとき。そのころにはもう、料理番組や料理本を見るのが大好きでしたね。
当時、母は仕事が忙しかったので、平日は代わりにご飯を作りに来てくれていたおばさんがいたんです。その方が料理を作る様子に私は興味津々。いつも側にくっついてまわっていました(笑)。
人生初のオリジナルレシピ作りは5歳のとき。父にほめられた、それが私の原体験です
そんなある日、冷蔵庫にあった「かつおの刺身」で作った料理が、人生初のオリジナルレシピになりました。
そのときは、冷蔵庫で残り物の「かつおの刺身」を見つけ、「料理を作ってみよう」と思いついたんです。でもね、当時の私はまだレシピを教わったことはなかったんですよ。だから、調理の仕方も味付けも、料理を作ってくれていたおばさんの見よう見まね。醤油とみりん、キビ砂糖でかつおを煮て、最後におろし生姜をたっぷりと加えました。
この「残りかつおの甘辛煮」が、私の初めてのオリジナルレシピです。
そして、その初めての料理を父が「とっても美味しい」と、ほめてくれたんです。今にして思えば、5歳の子どもが火を使うなんて、「危ないでしょ」と怒られそうなものですが、逆にほめられたので、すごくうれしかったですね。あのときの感覚は今でもはっきりと覚えています。
小学生になると、私の料理好きは加速していきました。というのも、入学祝いに両親がオーブンレンジと料理本をプレゼントしてくれたんです。休みの日は、その本を見ながらひとり黙々と料理やお菓子を作っていました。でも、そんな当時の私の夢は、”歯医者さん”。親戚に医師が多くて「歯医者になるといいわよ」とすすめられていたのです(笑)。それにそもそも、当時は「料理研究家」という言葉を耳にしたこともなかったかもしれません。ですから、ただただ、純粋に料理を作ることを楽しんでいました。
疲れていてもご飯を振る舞うのが、楽しい!それなら料理の世界へ!
学生になってからは、料理を友人たちにも食べてもらうようになりました。みんなでわいわい食べるご飯の時間が好きでした。でも、就職したのは料理とは全く関係のない業種。ベビー服やおもちゃ、お菓子などを現地に買い付けに行ったり、販売する仕事をしていました。その仕事をしながら、「やっぱり私は料理を作るほうが好きだ」って気づいたんです。
当時は仕事から帰ると、料理を作りたくて夜中にキッチンに立つ日々。作った料理は兄の友人や近所の友人に差し入れしていました(笑)。本当に料理が好きで好きで、苦に感じたことはなかったです。そして、こんなに料理が好きなら、いっそのこと料理を仕事にしたら楽しいんじゃないか、と思い、24歳の時に大好きだったフランス料理の世界へ転職したんです。
料理人として修業を積み、開業へ。サービスを高めるために、ソムリエの資格も
それから約2年間は、フレンチレストランで料理人として修業。朝6時に家を出て、終電で帰るような生活でした。その後、夫と出会い、レストランを開業。1年後に結婚。今度はそのお店を取り仕切るマダムとして、サービスにも携わることになったんです。
子どもも生まれ、母で妻でレストランのマダム。多忙な日々を過ごしていました。ですが、そのうちに「自分はマダムとしての知識がもっと必要なんじゃないか」と感じるようになっていったんです。
そこで、もっと自信を持ってサービスが出来るよう、ソムリエの資格を取ることにしたんです。ちょうど2番目の息子を妊娠したタイミングだったので、出産前に資格を取ろうと決意。ですが実際には休む暇がほとんどなく、レストランに出ながら勉強する、というハードな状況になってしまったんですけど(笑)。
「やっぱり料理を作りたい」と、料理教室をはじめることに
サービスに携わるマダムの仕事をしている時も、「やっぱり自分は料理を作りたい」という気持ちはずっとありました。そのため、当時は料理研究家としての仕事も並行してやっていました。
テレビや雑誌のほかに、イベント講師として料理を教えたり、友人の家で料理教室をさせてもらったり。でも、そういう場所は1回限りで終わりなんですよね。私が教えた料理を家で作ってみてどうだったのか、家族はどんな反応をしたのか。そういう生徒さんからのフィードバックがもらえず、もどかしい気持ちがありました。
そんな思いを解消したくて始めたのが、今の料理教室なんです。教室で料理を作って終わり、ではなく、教わったことを毎日の料理に生かしてほしい、という思いから、「料理の基本」の部分をしっかりとお伝えするようにしています。
それは、例えば塩の振り方。どうしてこういうふり方をするのか、ということを理解してもらうと応用がきくので、ぜひいろいろ覚えてほしいなと思っています。
料理教室のレシピで気をつけているのは、誰にでも手に入りやすい食材を選ぶこと。例えば、Aのスーパーにはあっても、Bのスーパーに置いてなければ、その食材はなるべく使いません。どこにでもある食材を把握するために、買い物のときは4軒ぐらいまわって食材の種類や値段をチェックします。「食材の平均値を知る」ことは、いつも心がけています。
何が正解かはわからない。でも、何かを言い訳に仕事を諦めたくない、と思っています
母で妻で料理人、となると、どうしても難しいのが両立の仕方。とくに、子どもが小さいときは、無我夢中でした。
お仕事をいただくのは、本当にうれしいこと。でも、子ども、主人のサポートができるかの一方で、家族を言い訳にして仕事をセーブするのは嫌だな、という思いもあり、葛藤し続けていましたね。
この問題は、きっと人によって考え方が違うし、何が正しいかはわかりません。でも、少なくとも私は、「子どもがいるから諦める」ということはしたくありませんでした。
ただ、やりたいことは諦めないけれど、タイミングは考えなくてはいけないと思っています。
例えば、私が料理研究家として独立したのも、レストランのマダムとして、もう私がいなくても大丈夫、というタイミングでした。逆に言うと、マダムとして忙しかった頃は、独立のタイミングではなかったんです。
今、目の前でやらなくてはいけないことは、きちんとやる。「やりたいこと」への意識は、その間も持ち続ける。そうしているうちに、やらなくてはいけないことは片付き、自然と「やりたいこと」に挑戦できるタイミングがくる。私は、そういう「流れ」を大事にしてきました。
たくさんの人に家庭料理のすばらしさを伝えていきたい
今後は、料理教室の幅をさらに広げていきたいと思っています。これまでは、フランス料理をメインで教えていたのですが4月からは、日本の家庭料理も始めます。
日本の家庭料理の素晴らしさ、「おふくろの味」をもっと気軽に、毎日作れるようになれるレッスンです。「おふくろの味」に込められた、“おいしい思いやり”を感じてもらえる料理のレッスンをずっとやってみたいと思っていたんです。それこそ、自分の家族に教える気持ちで家庭料理のすばらしさをたくさんの人に伝えていきたいと思っています。
お気に入りのキッチングッズを教えてください!
一番左は、鰹節削り器。結婚当初からの愛用品です。鰹節は和食だけでなく洋風スープに使うことも。パスタと一緒にゆでると、いい香りが付くんですよ。その隣のものは「シノア」というこし器。フランスの三角帽子「シノア帽」が由来なのだそう。目が細かいので、和洋中どんな料理にも重宝します。三角になっているので最後の1滴まで絞り出せるのも利点。1つあると本当に便利です! 次がケーキにクリームを塗ったり、フライパンで焼く魚や肉を返したり、という時に使う「スパチュラ」。手のひらサイズで持ちやすいのもポイントです。大きさが違うホイッパーは、ボウルの大きさや用途によって使い分けています。
写真:吉田朱里 文:安田美保
島田まき's profile
料理研究家。3人の男の子の母親。フランス料理店オーナーシェフの夫と子どもたちへの家庭料理を中心に、様々なジャンルのメニュー開発を得意とする。輸入業経験後、フランス料理店にて料理人として修行。後、恵比寿「イレール」を夫と共に開業。ソムリエの資格取得後はワインと食のつながりについても追求を深める。家庭の味、母の味を伝えるために精力的に活動する傍ら、毎晩、深夜帰宅の夫の体調管理を踏まえた健康でスタイルを保つヘルシーメニューや子どもの健康を気づかったお弁当を作る日々。NHK「みんなのきょうの料理」をはじめ、テレビ、雑誌など多く出演。その他、企業商品開発、店舗プロデュースなども手がける。2013年、田園調布自宅にて「makicooking studio」をオープン。日々、生徒さんへお料理のコツと楽しさを伝えている。
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