お弁当を毎日作っていた高校時代
料理を始めたのは中1のころ。家庭科でチキンライスを作る調理実習があって、「料理ってこんなに楽しいんだ!」と感じたのがきっかけです。その日のうちに自宅でチキンライスを再現して、家族に食べてもらったら「すごく美味しい!」と褒められたのがうれしくて。それから家族に料理を振る舞うようになりました。
両親は自然食品のスーパーを営んでいて、共働きで忙しかったので、高校3年間は弟2人の朝食と自分のお弁当を毎日作っていました。母がお弁当を作ってくれたこともあるのですが、白米におでん、という渋めの内容で…(笑)。自分で作ったほうが好きなものを入れられるし、母の手助けにもなるので、大変でも毎日続けていましたね。
飛行機マニアと英語好きが高じてCAに
短大の英文科を卒業してからは、航空会社に就職しました。もともと私、飛行機マニアで、飛んでいる飛行機の音で機体が判別できるという特技があったほど。また小さいころから洋楽を聴いていて、英語も好きで。英語と飛行機好きを活かせる仕事といえば、CA(客室乗務員)だと思ったんですよね。
当時は就職氷河期で、CAの新卒採用がなかったので最初はグランドスタッフとして勤務。それからCAの既卒採用試験を受け、国内線と国際線のCAとして6年半ほど勤務しました。
CAとして働く中では、温かいものは温かいうちに! 冷たいものは冷たい状態で! という、すべてのお客様に美味しい食事を提供するタイミングの難しさを実感しました。また料理の盛り付け方やカトラリーの置き方、食事に合うワインなどを学び、食への知識を深めるうちに、さらに料理が好きになっていったんです。
屋久島に移住、ダイビングのインストラクターへ転身
国際線の客室責任者(チーフパーサー)として乗務していたころに、スキューバダイビングインストラクターの夫と知り合い、結婚しました。私も学生時代から趣味でダイビングをやっていたので、いずれ仕事にできるようにと、CAをしながらダイビングインストラクターの資格を取得したんです。
資格試験では、海の水流に逆らって泳いだり、水深10mに潜って、ダイビングの装備を身に着けて浮上してきたり。30歳を過ぎて試験に挑むのは体力的に大変でしたが、10代、20代の子たちにまじってなんとか免許を取得できました。
夫はすでに屋久島でダイビングショップを経営していたので、私は移住の準備が整ったタイミングで航空会社を退職。屋久島に移住して、スキューバダイビングのインストラクターに転職しました。CAの夢が叶ったときは一生続けていくものだと思っていたので、移住と転職は人生を変える大きな選択でしたね。
屋久島でダイビング中のasucaさん(写真提供:asucaさん)
スキューバの魅力は、とにかく海の世界に癒やされること! 海の中で一生懸命生きている生き物を見ているだけで、心がきれいになる気がします。外の音も遮断され、聞こえるのは自分のエア(呼吸に使う空気)の音だけ。嫌なことがあっても海に入れば無心になれて、いろいろなものが浄化されていく気がするんです。
無重力の世界は、宇宙飛行士さんとダイバーだけが体験できる特別なもの。そのふわふわした、海中での無重力の世界も魅力のひとつです。父からは「飛行機では気圧を受け、海では水圧を受け、asucaの体はずっと圧力を受けていて大変だなぁ」と言われています(笑)。
生命力に満ちあふれた屋久島での暮らし
屋久島の海を泳ぐウミガメ(写真提供:asucaさん)
屋久島に移住して良かったのは、とにかく水と空気がきれいなこと。九州最高峰の山と美しい海や川がある、大自然の離島での生活は、生きものすべてが生命力に満ちあふれて輝いて見えます。
東京暮らしが長かったので、島暮らしに慣れるまではやはり大変でした。屋久島ではいきなり長時間停電が起こって、暗闇の中で料理を作ったりすることもしばしば。そして家に鍵をかけて外出すると、宅配業者さんから「荷物を入れられないじゃないか」と怒られることも!
仕事中の船上にて(写真提供:asucaさん)
コンビニも一軒もなく、街灯がほとんどない島暮らしは、夜になると真っ暗。夜まで外出すると、自宅に帰る道が分からなくなることもありました。今では暗闇でも目が見えるようになったので、スイスイと自宅まで帰れます。
移住してから3年ぐらいは、ホームシックになって爆発しそうなときもありました。そんなときは、とにかく歌うこと! 島にカラオケボックスはないので、カラオケの機械が置いてあるスナックで歌わせてもらったり。それから、島で路頭に迷っていた猫たちを保護して一緒に暮らしているので、猫を愛でたり。保護猫は現在3匹いて、今でもしんどいときはとりあえず猫を吸っています(笑)。
コロナで観光客が激減!料理家を志すきっかけに
料理の道に進んだのは、コロナ禍がきっかけです。2020年に新型コロナウイルスが流行りだして、島への観光客が激減。夫婦ともども無職の危機に陥り、収入がほぼゼロになった時期もありました。泳ぐ以外に私に何かできるかと考えたら、筋トレか料理。Instagramで料理の投稿が好評だったこともあり、海の仕事がピンチのときに大好きな料理の仕事で稼ぐことができればと考えました。
ところが、どうすれば料理を仕事にできるのかはまったく知識ゼロの状態で。まずはたくさんのレシピ本を読み漁り、いろいろなレシピサイトをチェックしました。そこで料理写真がいつも美しく、ビビッときたのがNadiaだったんです。Nadiaでたくさんの料理家さんのレシピを拝見していたときに、自分でもNadia Artistに応募できることを知って。「私もNadiaで、素敵なレシピを投稿できる料理家になりたい!」と直感で思い、申請をしました。
審査では料理の写真が2回ほど差し戻しに。編集長の黒澤さんからの丁寧なアドバイスによって、挫折することなく3度目でようやく審査を通過し、Nadia Artistになれました。すぐに葛城社長がオンラインで面談をしてくださり、私の状況をご理解くださって。仕事がなくなるかもしれないという不安の中、相談に乗ってくださった社長と黒澤さんにはとても感謝しております。
ヘルシーなレシピで、夫の健康診断の数値が改善
私のレシピに健康的な料理が多いのは、実家が自然食品のスーパーマーケットだった影響が大きいと思います。子どものころから無添加、無塩せき、無農薬などにこだわった食材を食べて育った経緯もあり、ずっと調味料や食材には気をつかってきました。もちろん時短や簡単も大事だけど、まずはヘルシーなものを体に摂り入れること。それが私のレシピで一番気を付けていることですね。
ひとり暮らし歴の長い夫はジャンクフード好きで、好き嫌いも多く、私と結婚する前はよく健康診断に引っかかっていたんです。悪玉コレステロールや中性脂肪の数値も高くて。それで結婚後は、夫の健康を一番に考えて、「ジャンク好きな人でも美味しく食べられて、健康になるレシピ」を考えるようになりました。
努力が実ったのか、私が移住してから2か月ほどで、夫の健康診断の数値もぐっと良くなったんです。主人だけでなく私も平熱が上がって、免疫力も向上しました。おかげでコロナやインフルエンザにもかかっていないし、島に移住してからは風邪もひいていないぐらいです。
ダイビングインストラクターとして活躍するasucaさん(左)(写真提供:asucaさん)
ちなみに私のおやつは、甘いもの好きな主人と違って、おにぎりが基本。海の仕事はカロリーを消耗するので、毎日5食ぐらい食べています! 筋トレも毎日していて、料理中は常にかかとを上げたりもしています。
それから料理の仕事をするうえで役に立てばと思い、上級食育アドバイザーの資格も取得しました。「こういう病気の人にはこういう食材がいい」など、これまで何となくやっていたことに対しても裏付けができ、料理への心構えも変わった気がします。
優しい味わいの原点はおばあちゃんの味
レシピのこだわりは、身近な調味料で作れて、工程がとにかく簡単であること。少しでもハードルの低いレシピになればと、専門用語をなるべく少なくして、工程写真もしっかり載せるようにしています。
味付けの根底にあるのは、おばあちゃんの味。学校から帰ると、両親は共働きで留守にしていたのですが、祖母が自宅で料理教室を開いていたんです。生徒さんにまじって夕飯を食べたりもしていたので、私のレシピは、そのときの懐かしい味を再現しようとしているのかもしれません。
レシピを考えるうえで大変だと感じることは、どんな料理も万人受けすることはないということです。作り手さんによっては好みの味付けではない場合もあるので、厳しいご意見をいただくことも。万人受けすることはないと理解しながらも、何度も試作を繰り返し、夫や友人に食べてもらってからレシピを公開するようにしています。試作を何度もした日は同じ料理が食卓にたくさん並ぶので、消費するのも大変です(笑)。
「健康になった」という声が自信に繋がる
現在は、NadiaやInstagram経由の企業さまのレシピ開発、不定期開催の料理教室、出張料理、飲食店のメニュー開発などをしています。コロナ禍が落ち着いた現在、スキューバダイビングの仕事が戻ってきたので、激務であるハイシーズンの間は、実はほとんど料理の仕事ができていない状況です。葛城社長とお話しした際、「asucaさんは、広瀬香美さんのような冬のNadia Artistだね」なんて話にもなりました(笑)。
仕事をするうえでは、私のレシピを作ってくださった方からの「美味しかった!」「初めて家族に褒められました!」といった温かいお言葉が何よりの喜びです。また「健康診断の数値が良くなった」「asucaさんの料理を食べて便秘が治った」「体重が減った」など健康に関わる声もいただき、少しでも人のお役に立てているんだと自信に繋がっています。
また、がんばる原動力は間違いなく、3匹の猫たち。癒やしでしかないこの子たちに長生きしてもらいたい、快適に過ごしてもらいたい。だから海の仕事も料理も家事もがんばれる! と思っています。
Artistランキング上位に載るのが目標!
Nadiaでのお仕事で印象的だったことは、ひとつ目は『Nadia magazine vol.01』で、「今注目すべき料理家6人」のひとりとしてレシピを掲載していただいたこと。人生で初めて自分のレシピが本に掲載され、本を持った手が震えたのを今でもよく覚えています。うれしすぎて家の中で飛び上がって喜びました! お恥ずかしい話ですが、両親は何冊も購入して親戚に配りまくっていたそうです(笑)。
ふたつ目は「おうちで作れる!世界の料理レシピコンテスト」でグランプリをいただいたこと。前職で本場の料理を食べてきた経験を活かした、思い入れの強いコンテストだったんです。まさかグランプリがとれるとは思っていなかったので、台湾料理の「胡椒餅」がグランプリに選ばれたときは、あぁ、CAをやっていて良かったなと感じました。
また、ささやかな目標ですが、Nadiaの「Artist検索」の人気順ランキングで、サイトの1ページ目に掲載されることを今は目標にしています。そしてスキューバと料理の仕事を両立させていくなかで、忙しい毎日を送る方々に少しでも手軽に作れるレシピを届けていきたいです。
悩んだら「夢に近づいている瞬間だ」と思って
コロナ禍で海の仕事がなくなり、この先どうやって生活しようと思っていたときに出会えたのがNadiaでした。Nadia Artistになって4年近くが経ちましたが、私がここまで成長できたのは、いつも親身に寄り添ってくださるNadiaのみなさまのおかげです。ただただ感謝しかありません! 微力ながら、恩返しがしたいといつも思っています。
料理の道を志す方は、途中で大きな壁に当たったり、悩むこともたくさん出てくると思います。実際に私も落ち込むことがありました。が、みんな必ず通る道です! そのたびに、「自分が夢に向かって近づいている瞬間だ」と思って、あきらめないで前に進んでみていただきたいです。料理は、たくさんの人を笑顔にできる、とても素敵な仕事だと思います。
そしてユーザーのみなさまは、いつも温かいコメントをくださり、数あるレシピの中から私のレシピをお選びいただきありがとうございます! みなさまからの言葉が私の原動力になり、とても励みになっています。まだまだ未熟なところもあるかと思いますが、今後も「食べて健康になるレシピ」を手軽に作っていただけるよう日々努力していきますので、温かい目で応援していただけるとうれしいです。
写真:高橋 しのの 文:室井瞳子
asuca's profile
料理研究家・上級食育アドバイザーであり、現役のスキューバダイビングインストラクター。前職ではCAとして、世界各地の本場の料理に触れた経験も持つ。生活習慣病や健康診断の数値を改善する、「食べて健康になる料理」が多くのファンから支持を集める。夫と保護猫3匹と一緒に屋久島在住。
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